2021年4月3日放送の「ジョブチューンSP」に日高屋会長の神田正さんが出演されて
日高屋を創業した理由は「借金が20億あったから」だとおっしゃられていました。
借金20億円から逆転した成功の秘訣は、なんだったのでしょうか?
そこで、今回は
「神田正(日高屋会長)の年収が凄い!借金20億から逆転した秘訣は?」題して
日高屋会長の神田正さんの、年収と借金20億から逆転する秘訣について
深掘りして推考してみました。
結論から言いますと、筆者が深掘りして神田正さんの言葉や、ホームページなどから推考した結果
日高屋会長の神田正さんの年収は?
株の配当と合わせて
年収は2億5,000万円くらい!
ではないかと推測しました。
このあと、日高屋会長の神田正さんの年収と借金20億から逆転した秘訣について
詳しくひも解いていきますので、最後までおつき合いいただけると嬉しいです。
では、日高屋会長の神田正さんの年収からみていきましょう。
日高屋と同じように中華料理店をチェーン展開している大阪王将会長の情報はコチラ
日高屋・会長の神田正さんの年収はいくらなの?
株式会社ハイデイ日高の
第42期(2019年3月1日~2020年2月29日)有価証券報告書から
日高屋会長の神田正さんの年収について推測した結果
株の配当と合わせて
年収は2億5,000万円くらい
には、なると推測されました。
では、くわしくみていきましょう。
株式会社ハイデイ日高の第42期 有価証券報告書によると
役員報酬の合計が 1億6700万円
対象の役員数は8名となっており
単純に計算すると役員1人当たり 2,087万5,000円となります。
さらに、日高屋会長の神田正さんは
自社の株を 623万2,000株保有されています。
有価証券報告書によると1株当たりの配当が36円(中間配当は18円)なので
株の配当が 2億2,435万2,000円となります。
神田正さんは、代表取締役会長と執行役員会長を兼任されていますので
他の役員よりも役員報酬は高く設定されていると思われます。
役員報酬を2,500万円近くだと仮定すると、株の配当と合わせて
年収は2億5,000万円くらいには、なると推測されます。
株の配当がハンパないですね!
株式会社ハイデイ日高の第42期 有価証券報告書はこちら
つづいて、日高屋会長の神田正が借金20億円から逆転した成功の秘訣についてみていきましょう。
神田正さんが借金20億円から逆転した成功の秘訣とは?
大逆転が成功した秘訣はなんだったのでしょうか?
筆者が神田正さんの言葉や、ホームページなどから推考した結果
日高屋会長の神田正さんが成功した秘訣は
人材を大切にし感謝をわすれない
時代の先をみる先見性と、経営戦略などの発想の素晴らしさ
では、ないかと推考しました。
成功の秘訣について神田正さんの経歴をふまえながら、みていきましょう。
まずは、神田正さんのプロフィールと経歴からどうぞ。
日高屋会長・神田正さんのプロフィール

株式会社ハイデイ日高 取締役会長 神田正さん 引用元:ハイデイ日高HP
- 氏名 神田 正(かんだ ただし)
- 出身地 埼玉県日高市
- 生年月日 1941年2月20日
- 出身中学校 日高町立高萩中学校
- 職業 株式会社ハイデイ日高 代表取締役 会長・執行役員会長
日高屋会長・神田正さんの経歴から成功した秘訣を推考
- 1973年2月 中華料理 来来軒 開業
- 1978年3月 有限会社 日高商事 設立 代表取締役社長就任
- 1983年10月 株式会社日高商事に改組
- 1986年3月 株式会社日高食品(セントラルキッチン三橋工場)設立
- 1998年6月 株式会社ハイデイ日高に社名変更
- 1999年9月 日本証券業協会に店頭登録
- 1999年12月 ジャスダックに上場
- 2005年2月 さいたま行田工場完成
- 2005年4月 東京証券取引所二部に上場
- 2006年5月 代表取締役社長・執行役員社長を兼任
- 2006年8月 東京証券取引所一部に上場
- 2009年5月 代表取締役会長 兼 執行役員会長就任
神田正さんは6人兄弟の長男として、ケガをして働けなくなった軍人の父親にかわって
家計を支えるために働いていました。
小学校6年生のころから4年間、休日になると横田基地から川越へゴルフにくる在日米兵のキャディをされていたそうです。
キャディのほかに新聞配達も行い家計を支えていました。
中学校卒業後は、たんすの金具を作る製作所・浄水場の塀作り・鉄工所・運送屋・土建屋・キャバレーのボーイなど15もの職を転々とし
本田技研工業で、1年半ほど働いて正社員に登用されましたが、単調な仕事に飽きてしまって結局は、辞めてしまったそうです。
「金がなくなると家にも帰らず野宿して過ごすような風来坊だった」と神田正さんは当時を振り返っておられます。
その後、パチプロとして生計を立てていた神田正さんは、知人の頼みで岩槻市のラーメン店の雇われ店長になり、その後、店を譲り受けることになる。
しかしスナック経営に手を出して失敗しラーメン店を潰してしまうことになる。
1973年に大宮市に再起をかけて、日高屋の前身となる来来軒をオープンさせて深夜営業に力をれる。
その頃から、ファミリーレストランなどのチェーン店の市場規模が拡大していることや
サラリーマンが、昼食を外でとり帰りが遅くなれば外で夕食をとるケースが
増えてきたことに気づき、サラリーマン客向けに安くて手軽なラーメンを提供すれば
ラーメン店でも同じような多店舗展開ができるのでは?と考えるようになったそうです。
ファミリーレストランなどのチェーン店が、ファミリー向けに郊外で大型店を出店していたのに対して、神田正さんは自店の客層は平日のサラリーマンであると分析し、郊外ではなく駅前の一等地への出店にこだわったそうです。
1986年には、大量生産によって低価格を実現するためにセントラルキッチン三橋工場を開設。
その後、株式会社ハイデイ日高に社名変更をして株式上場もおこない、今もなお成長をつづけられています。
神田正さんの時代の先をみる先見性と、発想の素晴らしさには、目を見張るものがありますね。
神田正さんの発想の素晴らしさは経営戦略にもあらわれています。
その経営戦略とはどんなものなのか、みてみましょう。
日高屋会長・神田正さんの経営戦略から成功した秘訣を推考
日高屋会長の神田正さんは2つの大きな経営戦略をあげておられます。
その2つは
- 低単価で商品を提供するためのコスパの追求
- 飽きない味の追求
になります。
低単価で商品を提供するためのコスパの追求
コスパの追求で重要となるのが、コバンザメ戦略と
自社工場での徹底して食材のムダを省いた生産管理になります。
コバンザメ戦略
店舗開発において現地調査などのリサーチは行わず余分な経費を抑える。
マクドナルドや吉野家のような大手チェーン店が市場リサーチして出店したエリアで
マクドナルドと吉野家の真ん中に出店することで集客を狙っている。
理由は、サラリーマンがランチに、マクドナルドでハンバーガーを食べたら、次の日のランチには吉野家で牛丼を食べる、そして次の日のランチには日高屋で中華を食べるということで、必ず集客はできるとのことです。
さいたま行田工場での徹底したコスパ戦略
さいたまの行田工場では、餃子だけでも1日43万個、年間1億3,000万個つくられています。
全ての商品をつくっているので1日で、かなりの量になると思います。
そこで、徹底してムダを省き最高のコスパを実現させているとのこと。
徹底してムダを省いた生産管理には、次のようなものがあげられます。
- 餃子の皮を型抜きして作る際、型抜きして余った皮は、練り直して再度利用する
- チャーシューの煮汁は、ラーメンだれの隠し味に使用する
- キャベツをカットする際には、真ん中より上の部分は炒め物などのカット野菜に使用し、葉脈の多い下の部分は餃子に使用する。
材料を捨てることなく利用することで、あの安さを実現できているのですね。
飽きない味の追求
日高屋会長の神田正さんは味についても、こだわりの戦略があります。
その戦略は、10人の人が食べて7~8人の人が美味しいと感じる味だそうです。
毎日食べても飽きない、おふくろの味を目指しているとのこと。
その味を決める商品開発は、社長の高橋均さんが担っています。
戦略としては、誰がつくっても変わらない味にするための徹底したマニュアル化の推進です。
マニュアル化の例として
- 野菜たっぶりタンメンの味付けをするには、レードル1杯分の独自のタレをくわえるだけでOK
- チャーハンはチャーハンだれを米を炊く時に入れて、炊くだけで味付けは完了するので、あとは炒めるだけでOK
といった具合です。
日高屋会長の神田正さんの発想は素晴らしいですよね。
ハイデイ日高ホームページから成功した秘訣を推考
日高屋会長の神田正さんは、成功した秘訣を自社ホームページでも語られています。
創業時メンバーである、実弟の町田功さんと、義弟で社長の高橋均さんがいたからであり、人を大切にしてきたからであると、おっしゃっられています。
また、社員を犠牲にしてまで会社の利益を出す必要はなく、社員が明るく元気で働いてくれる会社をつくりたいとも語られています。
日高屋会長の神田正さんが、いかに「人材」を大切にして感謝されているのかが、わかりますね。
ハイデイ日高が、創業以来変わらず大切にしているのは「人」。
社員の幸せを第一に考え、お客様の心を満たすための挑戦を続けています。 引用元:株式会社ハイデイ日高採用サイト
【信じて残ってくれた創業メンバーがいたから今がある】
創業当時は、ラーメン屋に入社したら3~4年で独立するのが当たり前の時代でした。まさかラーメン屋が何百店舗も出店して、株式を公開して上場するなんて、そんなことをした人は誰もいなかったし、そんなことを言ったらバカにされる時代でした。だけど、その時に信じて残ってくれた創業メンバーがいたからこそ今がある。だからやっぱり大切なのは人なんですよね。 引用元:株式会社ハイデイ日高採用採用サイト
【社員を犠牲にしてまで会社の利益を出す必要はない】
企業というのはよっぽどのことがなければ倒産しません。100年、200年続きます。社員は22歳で大学を出て、60いくつまで勤めるわけです。わずか40年の社会人人生の中で、この会社に縁があって入ってね、会社の犠牲になることはありません。楽しくやらないと。会社は続いて行くんですから。もちろん上場企業なのである程度の利益は必要ですが、「社員を犠牲にしてまで会社の利益を出す必要はない」ということを社員には言っています。だから、会社をうまく利用して楽しい人生を過ごしてほしい。だって、人生は幸せになるため。お金を貯めるためじゃないと思います。いい家族に恵まれて、いい友人に恵まれて、健康でいるのが人生であって、お金なんて貯めたってつまんないですよ。だからうちは、余計な利益を出そうというつもりはありません。適正利益でいい。社員が明るく元気で働いてくれる会社をつくりたいんです。 引用元:株式会社ハイデイ日高採用サイト
株式会社ハイデイ日高が人材を大切にしている企業だということが、わかりますよね。
では、日高屋こと株式会社ハイデイ日高の基本情報をみてみましょう。
神田正さんが会長を務めるハイデイ日高の基本情報
- 社名 株式会社ハイデイ日高
- 本社所在地 埼玉県さいたま市大宮区大門町3-105やすなビル6F
- 工場所在地 埼玉県行田市野3341-26
- 設立年月日 1978年3月22日
- 資本金 1,625,363,422円(2020年5月27日現在)
- 売上高 42,209,743円(2020年5月27日現在)
- 店舗数 443店舗(FC店除く・2020年2月末現在)
- 従業員数 838名
- 取引銀行 みずほ銀行・武蔵野銀行・三菱UFJ銀行
中華食堂日高屋・来来軒・とんかつ日高など11業態の飲食店を運営
従業員 838名
- 平均年収 475万8000円
- 平均年齢 35歳3ヶ月
- 平均勤続年数 8年5ヶ月
ハイデイ日高ホームページはこちら
まとめ
今回は「神田正(日高屋会長)の年収が凄い!借金20億から逆転した秘訣は?」題して
日高屋会長の神田正さんの、年収と借金20億から逆転する秘訣について
深掘りして推考してみましたが、いかがでしたでしょうか?
おさらいすると
筆者が深掘りして神田正さんの言葉や、ホームページなどから推考した結果
日高屋会長の神田正さんの年収は?
株の配当と合わせて
年収は2億5,000万円くらい!
日高屋会長の神田正さんが成功した秘訣は?
人材を大切にし感謝をわすれない
時代の先をみる先見性と、経営戦略などの発想の素晴らしさ
にあると推考しました。
日高屋会長の神田正さんの年収にもビックリしましたが、借金20億円から逆転に成功した秘訣の1つの、人材を大切にして感謝することを、念頭において経営をされてきたことに感銘しファンになってしまいました。
これからは、週に1度だった日高屋での食事の回数を、週に2度に増やしたいと思います。
最後まで、おつき合いくださり、ありがとうございました。
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